『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読んだ

今日は月曜日で学校があったのですが、さぼってマクドナルドで本を読んでいました。

内容に関しては、全4章の内3章と4章は面白かったですが、前半は少し退屈でした。

 

特に印象に残ったのはこの一文。

「なぜここにこの一文が入るのか、あるいは「なぜここにこの一文がはいらないのか」をしっかりと説明できる自分であらねばならない、と思うようになった。(古賀史健『20歳の自分に受けさせたい文章講義』) 

 ここでは、映画は膨大なカットを削り落としていくので最終的に残ったのは無駄のないカットだけだ、という例を挙げていた。

普段大学のレポートなどを書いていて、自分的には納得がいっていないのにそれなりに高評価をもらえることに不満があった。

この不満の理由の一つとしては推敲不足があるとは感じている(実際に大学に提出するレポートは誤字脱字をチェックするくらいで内容を吟味したことは全然ない)。

しかし、この本の言葉を借りれば、”推敲の本質は、赤ペン片手に文中の「推」を「敲」に改めていくことではない。ハサミを使った”編集”こそが、推敲の基本なのである”のだそうだ。

なぜこの文を残して、またなぜこの文を削ったのか、どうしてここにこの文章があるのか。必然性をすべて説明できる論文を、卒業論文として提出できる実力をつけていきたい。

 

(追記)

ちなみにこの本はタイトルに「20歳の自分に受けさせたい」と書いているにも関わらず、時たま出てくる例が若者向けだとは感じられなかった。むしろ、仕事で人の心を動かす文章、例えば企画書などを書く社会人に向けて書かれていると感じた。

憶測だが、本書のガイダンスの一節に「僕は、この講義を本気で「20歳の自分に受けさせたい」と考えている。」とあり、ここから編集者が引っ張ったのではないかと思う。

しかし、この後に一度も”20歳”要素は出てこないので学生がレポートを書く際の参考にしようとしてもあまり役に立たない気がする。

 

あと、あまりキチンと触れていないが本書でいう「いい文章」は、あくまで「読者の心を動かし、その行動までも動かすような文章」であって、小説や論文の書き方を解説しているわけではない。

レポートの書き方等は別書を参考にすべきだと感じた。